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今年の大河ドラマ「西郷どん」が始まりましたね!
第一回目は、少年時代が描かれてました。
西郷隆盛こと吉之助は13歳の時、友だちとケンカをしてケガをします。

ケンカ相手の少年がサヤのまま打ちかかってきた際、その勢いで刃が抜けて、吉之助は右肘を斬られたのです。
このケガによって右腕が伸びなくなった吉之助は断腸の思いで武芸を断念し、学問に専念することになった、と言われています。

写真を1枚も残さなかった謎

西郷隆盛には本人と特定された写真が1枚もありません。
西郷隆盛は写真嫌いとして知られていて、明治天皇から写真を所望された際も断っています。
一説によると、暗殺予防のためだったとも言われています。

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私たちが教科書やテレビ、雑誌などでよく目にする西郷隆盛の写真は、あくまでイメージ像(肖像画)です。
その有名な西郷隆盛の肖像画は、明治政府が招いたイタリア人版画家・キヨッソーネが描いた作品ですが、
来日した時期を考えるとキヨッソーネが西郷隆盛に会った可能性は低く、彼は似ているうわさ話を参考に

  • 顔の上半分は弟の西郷従道
  • 顔の下半分は従弟の大山巌

をモデルにしてモンタージュし描いたと言われています。

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【キヨッソーネが描いた肖像画】

西郷隆盛は本名ではない?

明治2年(1869年)に明治維新に貢献した功績で、明治天皇から正三位に叙される時のことです。
明治政府は書類に記名するため、吉之助の本名を大至急知る必要に迫られました。

しかし、当人は箱館戦争を終えて船で鹿児島へ帰る途中で連絡がつきません。
そこで親友の吉井友実に聞きにいきましたが、通称の吉之助と呼んでいたため本名の隆永(たかなが)を思い出せず、
ようやく「たしか隆盛だ」とひねり出したのは、父・吉兵衛隆盛の名前でした。
あとでそれを聞いた吉之助も「それでよか」と気にせず、以降は父の名を使ったのです。

親友のミスを責めたりしない、細部はこだわらない、さすがに英雄は違いますね!